【湯島聖堂】孔子を祀る史跡の歴史を写真で紹介

湯島聖堂(ゆしませいどう)は、東京都文京区湯島にある史跡で、江戸時代の1690年、徳川5代将軍綱吉によって建てられた孔子(こうし)を祀る廟所(びょうしょ)です。

 

「儒教」の学問所「湯島聖堂」は中国風

湯島聖堂は、東京都文京区の、JR御茶ノ水駅より徒歩2分の地にある孔子廟(儒教の祖である孔子(紀元前552年~479年)を祀る廟所)で、国指定の史跡となっています。日本に現存する孔子廟の中では最も有名で、儒教の廟なので建物は中国風となっています。

 

湯島聖堂と孔子

孔子は紀元前552年に中国の魯の昌平郷に生まれた人物で、その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えました。

世界で一番高い(と言われている)孔子像


儒学に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、1690年(元禄3年)この地に「湯島聖堂」を創建、孔子を祀る「大成殿」や学舎を建て、自ら「論語」の講義を行うなどして学問を奨励しました。

ドラマ「西遊記」のロケ地にもなった「大成殿」

 

昌平学問所

1797年(寛政9年)、幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築して、孔子の生まれた地名をとって「昌平学問所」を開きました

学問所は1868年の明治維新までの70年間、官立の大学として江戸時代の学問の中心となりました

 

近代教育発祥の地

明治維新により聖堂は新政府の所管となり、1871年(明治4年)に文部省が置かれたほか、国立博物館(現 東京国立博物館・国立科学博物館)、師範学校(現 筑波大学)、女子師範学校(現 お茶の水女子大学)、日本で初めての図書館「書籍館」(現 国立国会図書館)などが置かれ、近代教育発祥の地となりました。

「西門」。 入ってすぐに「杏壇」門があります
「杏壇」とは、孔子が弟子に教えた場所という意味だそうです

 

関東大震災を経て再建された現在の湯島聖堂

もとの聖堂は4回の江戸大火に遭い、そのたびに再建されましたが1923年(大正12年)関東大震災で焼失してしまいます。その後1935年(昭和10年)、鉄筋コンクリート造りで再建され、現在に至っています。

ただし、「入徳門(にゅうとくもん)」は1704年(宝永元年)に建てられたものがそのまま残っており、貴重な文化財となっています。

入徳門は、他のコンクリート造りの建物と異なり、江戸時代から伝わる数少ない木造の建造物です

 

「湯島聖堂」の地図