全国各地にある「氷川神社」
「氷川神社」という名前の神社は、全国に約280社あるそうです。
そのおおもとである総本社(そうほんじゃ)が埼玉県さいたま市大宮区にある「武蔵一宮 氷川神社(むさしいちのみやひかわじんじゃ)」です。
この氷川神社を大いなる宮居(みやい=神社)と称えられたことが「大宮」という地名の由来とも言われており、歴史の古さやこの地域での存在感の大きさを表しています。
「西堀氷川(にしぼりひかわ)神社」で祀られている神様
西堀氷川神社で祀(まつ)られている神様は「須佐之男命(すさのおのみこと)」、「稲田姫命(いなだひめのみこと)」です。
「須佐之男命(すさのおのみこと)」は乱暴な行動で天上界を追放されてしまう一方で、人間を食べてしまう恐ろしいヘビ「ヤマタノオロチ」を知恵を使って見事に退治するなど、 正義感の強い一面もあり、武の神、厄払いの神として崇められています。
「稲田姫命(いなだひめのみこと)」は「ヤマタノオロチ」に食べられそうになっているところを須佐之男命(すさのおのみこと)に救われ、結婚したことから
縁結びの神様として、また、文字通り「稲田」の神=五穀豊穣の神として崇められています。
「西堀氷川神社」の摂社と末社
神社を参拝すると、本殿(本社)以外にも、いくつかの小さい建物があるのが一般的です。その建物ごとに祀られている神様がいて、本社の主祭神と家族・親族などの関係がある神様を祀っている建物を摂社(せっしゃ)、それ以外の神様を祀っている建物を末社(まっしゃ)と呼びます。西堀氷川神社にもいくつかの摂社、末社が建っています。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の石板。天照大御神は主祭神「須佐之男命(すさのおのみこと)」のお姉さんです
八千矛神(やちほこのかみ)を祀る八千矛神社。八千矛神(やちほこのかみ)は大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名だそうです。大国主命(おおくにぬしのみこと)は「大己貴命(おおなむちのみこと)」でもあり、主祭神「稲田姫命(いなだひめのみこと)」の子です・・・って、いろいろ別名があってややこしい。
丸山稲荷神社の御祭神は稲作の神様「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」です。 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は主祭神「須佐之男命(すさのおのみこと)」の御子神(みこがみ:神様の子)です。
三峰神社が祀っている神様は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と 伊邪那美命(いざなみのみこと)の夫婦の神様です。
この二神は主祭神「須佐之男命(すさのおのみこと)」のご両親で、日本の国を生み出した神様とされています。
ここまでは主祭神に関わりのある神様を祀っている摂社(せっしゃ)の紹介でした。これ以降は末社(まっしゃ)の紹介となります。西堀氷川神社では参道の両脇に摂社(せっしゃ)が並び、拝殿の横の鳥居から奥に末社(まっしゃ)が並んで配置されています。
御祭神は
国常立尊(くにとこたちのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)・・・です。
大己貴命(おおなむちのみこと)は主祭神「稲田姫命(いなだひめのみこと)」の子で親子関係があるかみさまですから、この神社は末社ではなく摂社になるかも?後の神様については詳細不明です。神様すみません。
「西堀氷川神社」の歴史
西堀の地の開発は鎌倉時代、源頼朝の家臣、畠山重忠がこの地を領地としたのがはじまりとされています。
畠山重忠は現在の埼玉県深谷市出身で、源平合戦で大活躍して鎌倉幕府の設立に貢献した武将です。
その畠山重忠がこの地に真鳥山城を築き、代官として居住させた家臣・真鳥日向守(まとりひゅうがのかみ)が 西堀の守り神として「武蔵一宮 氷川神社」を勧請(かんじょう:神様の分身を移して祀ること)して「西堀氷川神社」を建てました。
1648年には徳川家光より社領10石の御朱印状を与えられたとのことです。
また、明治41年には町谷(町屋)村の神明社・御嶽社・稲荷社の三社を合祀(複数の神社を合わせて祀ること)しています。
「西堀氷川神社」のご利益
西堀氷川神社のご利益は武運長久・厄除け・家内安全・五穀豊穣・商売繁盛・交通安全・縁結び・安産・子育てなど山ほどの?ご利益があるとされています。
特に安産・子育てのご利益にあずかるために出産前のご夫婦や七五三の日のご家族の参拝姿をよく見かけます。
また、地域の少年野球チームなどが安全祈願に訪れます。
「西堀ひかわ幼稚園」
神社と併設されている広々とした幼稚園です。神社の桜・夏祭り・運動会など季節を感じながら子供達が元気に園生活を送っています。
夏の夜の「西堀氷川神社」
4年ぶりの西堀夏祭りも、もうすぐです。