上杉謙信が敵に塩を送る「塩の道 千国街道」

塩の道 千国街道とは

本来「塩の道」というのは岩塩のない日本では海でとれた塩を内陸に運ぶための道のことを言い、海岸から内陸にむかって無数の「塩の道」がありました。

海と内陸を結ぶ「塩の道 千国街道」
海と内陸を結ぶ「塩の道 千国街道」

信州では、太平洋側から入る塩のことを「上塩」とか「南塩」と言い、岩淵(富士川)、吉田(豊橋)、名古屋、江戸から運ばれました。日本海側から入る塩のことは「下塩」とか「北塩」と呼ばれ、富山(針ノ木峠経由)、糸魚川、直江津、新潟から運ばれました。そして、上塩と下塩との移入路のターミナルには「塩尻」という地名がつけられたと言われています。有名な塩尻市をはじめ、上田市塩尻、下水内郡栄村、その他各地に「塩尻」という地名があるのです。

無数の「塩の道」のうち、日本海に臨む糸魚川から、内陸部信州の松本城下とを結ぶ約120Kmの街道は、途中、小谷村千国宿(ちくにしゅく)の名前の由来から「千国街道」と呼ばれ、大名行列などの往来もなく、深い谷あいの山道を牛方やボッカの背で塩や海産物を運び、帰り荷は麻や煙草などを運ぶ暮らしの道でした。

「塩の道 千国街道」は山間を通る庶民の流通の道

「塩の道 千国街道」は山間を通る庶民の流通の道

塩の道 千国街道は「翡翠(ヒスイ)の道」だった

千国街道には、塩や生活用品が流通していた時代よりも遥か昔から歴史があります。

古代、糸魚川・姫川の支流、小滝川にて翡翠(ヒスイ)が産出されました。産出された翡翠は、加工され縄文・弥生・古墳時代に、大珠・勾玉・丸玉・丸輪が作られ、日本各地へと運ばれました。出雲大社の重要文化財に指定されている勾玉(まがたま)は、化学成分鑑定より、この地の翡翠と証明されています。

翡翠の文化が確認されている地域は世界でも2つのみで、ひとつは、メキシコ・グアテマラを中心とする、オルメカ・マヤ・アステカの各文化であり
もうひとつが糸魚川・姫川の支流、小滝川が起点となって日本の各地に翡翠が運ばれた文化でした。「塩の道 千国街道」は遥か昔には「翡翠の道」だったのです。

経済封鎖を受けた武田信玄

戦国期、敵に塩を送るという美談で知られる、越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に、牛馬の隊列を整えて塩を送ったというのもこの千国街道のエピソードです。

1567年(永禄10年)武田信玄は今川氏(駿河国/現静岡県)との同盟を突然破棄して、東海方面への進出を企てます。今川氏は、縁戚関係にあった北条氏康(相模国/現神奈川県)の協力を仰ぎ、甲斐の国への塩の供給を止めてしまいます。武田の領地は甲斐(山梨県)・信濃(長野県)にあり、海に面していないため「塩」を取ることが出来ず領民は苦しみました。

敵に塩を送る上杉謙信

川中島で12年に渡り、戦った上杉謙信と武田信玄
川中島で12年に渡り、戦った上杉謙信と武田信玄

越後の上杉謙信と甲斐の武田信玄。この両雄はこれまで何度も川中島を中心とした合戦を繰り返してきたライバル関係ですが、「軍神」といわれながらも「義の武将」ともいわれた上杉謙信は武田領民の苦しみを見過ごすことができず、越後から信濃へ「塩を送る」ことを決意し、これが後に「敵に塩を送る」美談となりました。

【川中島古戦場】武田信玄と上杉謙信の激戦地を写真で紹介

敵に塩を送ったのはビジネスのため?

上杉謙信は軍神と呼ばれる一方で、一国の主としてビジネスを優先する側面も持っていました。当時は戦国時代、とにかく戦にお金がかかります。資金を得るためには塩の流通を止めて利益を落とすことはしたくなかったのです。謙信の方針に従い、越後の塩商人が甲斐で塩を独占販売して大きく利益を得たのでした。

それでも武田信玄は塩の供給を止めないでいてくれた上杉謙信に感謝し、臨終の床で息子・武田勝頼に「何かあったら越後の謙信を頼れ」とも言い残しています。また、他の戦国武将からも、謙信の義理堅さは認められていました。

「塩の道まつり」で親しまれる千国街道

近年、「塩の道まつり」として5月ゴールデンウィーク3日間に渡って盛大なウォーキングイベントが開催されています。

塩が染み込んだ千国街道をみんなで歩くウォーキングイベント「塩の道祭り」
塩が染み込んだ千国街道をみんなで歩くウォーキングイベント「塩の道祭り」
田んぼに書かれた「塩の道まつり」
5月でも雪が残る小谷村の塩の道
水車小屋など懐かしい建物が迎えてくれる
水車小屋など懐かしい建物が迎えてくれる
千国街道は険しい道なのだ
千国街道は険しい道なのだ
塩の道を走るボッカ(歩荷)。実はプロスキーヤーと指導員の方々。
塩の道を走るボッカ(歩荷)。実はプロスキーヤーと指導員の方々。鍛え上げたお尻が美しい!?
皆で仮装して塩の道まつりを満喫
皆で仮装して塩の道まつりを満喫
塩の道まつりは出店もいっぱい。無料のふるまい(お茶・おにぎり・漬物など)も
出店もいっぱい。無料のふるまい(お茶・おにぎり・漬物など)も!

塩の道まつりの日程(2018年参考)

毎年5月3日~5月5日の3日間長野県で開催されるウォーキングイベントです

5月3日:小谷村コース
下里瀬9:10出発→虫尾阿弥陀堂→小谷村郷土館→塩の道水車→千国諏訪神社→千国の庄史料館→親坂と湧き水→牛方宿→百体観音→栂池高原

※歩行距離は約9km・高低差約300m・歩行時間約5時間の3日間で最も険しく情緒あるコースです。

5月4日:白馬村コース
落倉自然園9:10出発→おかるの穴→切久保諏訪社→観音原→塩島公民館前→平川神社→みみずくの杜→白馬グリーンスポーツの森

※歩行距離約9km・歩行時間約3時間30分のお手軽コース。地元の大勢の方の振る舞いが楽しめます。

5月5日:大町市コース
2つのコースから選べます

湖畔道中コース
受付→青木湖畔駐車場9:30出発→中綱水神社→森城址(バス出発まで自由行動)、木崎湖畔駐車場13:40バス出発→塩の道ちょうじゃ

※歩行距離約11km・高低差が65m・主に湖沿いを歩く歩行時間約4時間のコースです。

山麓道中コース(※事前の申し込みが必要)
受付→仁科神明宮9:15出発→盛蓮寺→山下木舟→浄福寺跡→薬師寺→塩の道ちょうじゃ

※歩行距離約10km・高低差20m・歩行時間約3時間のコースで、国宝や重要文化財の文化史跡を見学しながら歩きます。

塩の道まつりの地図

塩の道小谷村コースのスタート地点です