靖国神社は壮大な鳥居と美しい境内や庭園が広がる日本で最も有名な神社です。軍人ばかりでなく、戦争で亡くなった文官、民間人、女性、児童、幼児などおよそ246万人もの戦没者が祀られています。
国家の平和を願って創建された靖国神社
日本が近代国家として大きく生まれ変わろうとしていた明治維新の最中、旧幕府軍と新政府軍が戦った「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)により、多くの尊い命が失われました。
そこで明治天皇は明治2年6月、国家のために命を捧げた人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段の地に靖国神社の前身である「東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)」を創建されました。
明治12年6月には明治天皇が社号を「靖国神社」と改めます。
命名された「靖国」という社号は、「国を靖(安)んずる」という意味で、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
246万6千の御祭神
靖国神社には国内の大改革のため命を落とした坂本龍馬(さかもとりょうま)・吉田松陰(よしだしょういん)・高杉晋作(たかすぎしんさく)などの歴史的な著名人や、戊辰戦争、西南戦争(せいなんせんそう)といった国内の戦いで命を落とした人々、そして日清、日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・太平洋戦争といった対外戦争で亡くなった戦没者、あわせて246万6千の英霊を祀っています。
また、その中には直接戦った軍人だけではなく、従軍看護婦や、勤労動員中に軍需工場で亡くなった学徒などの民間人も多く含まれているのです。
政治論争の的となる靖国神社
日本のために命を捧げた人は「身分・勲功・男女の区別なくお祀りする」という基本方針が国際的な論争を招くことにも繋がっています。
靖国神社には、東条英機ら太平洋戦争のA級戦犯とされている14名が合祀(ごうし)されています。
A級戦犯とされていますが、実際にはケジメをつけるために戦争犯罪者の代表として処刑されたという意見も多く、「祖国を守るという公務に起因して亡くなった」神霊として他の戦死者、戦争被害者と同様に祀られています。
しかし、近隣諸国にとっては最大の戦争責任者を祀る靖国神社に日本の首相・閣僚が参拝するということは戦争を反省していないと、問題視しているのです。
また、日本の旧植民地出身の軍人・軍属も日本軍人として戦死し、靖国に祀られています。これに対し、植民地として支配された台湾や韓国の遺族の一部が自らの先祖を対象から外すよう求める声が挙がっています。
紅葉がきれいな靖国境内を巡る
日本一の大鳥居として誕生した第一鳥居
訪れたのは11月下旬の休日朝です。澄んだ空気が心地よく、秋晴れで境内の紅葉が綺麗でした。
大鳥居前には「靖國神社」と刻まれた社号標と、両側に2体の狛犬がいます。右側には口を開いた狛犬、左側には口を閉じた狛犬がいて「阿吽(あうん)」の対を現しています。
大村益次郎銅像
第一鳥居をくぐり、広い参道を進むと大村益次郎銅像があります。
大村益次郎は幕末から明治初期にかけての政治家で、日本陸軍の創設に尽力しました。
第二鳥居
大村益次郎銅像からさらに奥へ進むと第二鳥居の前へ。第二鳥居は青銅製の烏居としては、日本一の大きさだそうです。
大手水舎
花崗岩で作られ、重さは18トンもあるという大きな手水舎
神門(しんもん)
ここが靖国神社の「正門」となるそうです。
中央の2枚の扉には直径1.5メートルの菊の紋章があります。菊花紋章は天皇家の御紋章で、鎌倉時代に後鳥羽(ごとば)上皇が用いたのが、起源とされています。
中門鳥居
拝殿の手前の中門鳥居は、埼玉県秩父市の三峰(みつみね)神社から提供された、樹齢約500年のヒノキで造られています。
拝殿
参拝者の列が絶えない拝殿前
参集殿「朱印所」
靖国神社の御朱印は、朱印帳へ直接「墨書き」していただくこともできます。
神池庭園
南門の横の道を入ると本殿や拝殿の外側を一周できる静かな散策路が続きます。
散策路の途中に日本庭園の「神池庭園」があります。
物々しいニュースが多い靖国神社ですが、広い境内は四季折々の美しい樹々に囲まれ、他の神社と同様に清々しい空気と厳かな雰囲気を感じました。