【宝登山神社】秩父長瀞に鎮座するミシュラン一つ星神社の歴史と見所を写真で紹介

宝登山(ほどさん:寶登山とも書きます)は標高497mのなだらかな山で、そのふもとにある「宝登山神社」は秩父神社、三峯神社とあわせて「秩父三社」として知られています。

祀られている神様は
 初代天皇「神武天皇(じんむてんのう)」
 「大山祇神(おおやまつみかみ)」
 「火産霊神(ほむすびのかみ)」
で、火災除け、盗難避け、諸災厄除け、家内安全、商売繁盛、金運向上などのご利益があるそうです。



宝登山神社のはじまり

今からおよそ1900年前、第12代天皇の景行天皇(けいこうてんのう)は皇子(こうし)である日本武尊(やまとたけるのみこと)に対し、朝廷に反抗する豪族の多い東国地方を統一・平定するように命じます。日本武尊は伊勢,尾張,三河,遠江,駿河,甲斐,伊豆,相模,武蔵,総(上総、下総),常陸,陸奥の12ヶ国もの国を巡り、朝廷に従わない豪族を征伐していきました。

その帰り道、宝登山の美しさに惹かれた日本武尊は山頂を目指しますが、途中で山火事に見舞われてしまい、周囲を火に囲まれ、絶体絶命の状況に追い込まれます。そのとき神様の使いである巨大な犬が現れ、火を消し止めて日本武尊を山頂まで案内したのでした。

日本武尊を助けた神犬


命を助けられた日本武尊が、感謝の意をあらわして初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)や山の神、火の神をお祀りし、山の名を「火を止める山」と表し「火止山=ほどさん」と定めました。これが宝登山神社のはじまりとされています。

当社を創建した日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る「日本武尊社」
本殿裏には日本武尊が宝登山に登る前に禊(みそぎ)をしたと伝えられる「玉の泉」があります。

宝登山神社の鮮やかな境内を巡る

お蕎麦屋さんなどがある車道の終点から参道を奥に進むと、二の鳥居があります。

金の装飾がされた二の鳥居
境内側から見た二の鳥居。
二の鳥居をくぐるとすぐに手や口を清める手水舎があります。
そして階段を上ると本殿があります



現在の社殿の復元は1847年に御本殿の再建工事が始まり、1874年に拝殿の完成を以って完了したとのことです。

美しい彫刻が施された社殿
社殿周辺は小ぢんまりとしたのどかな感じです
御朱印やお守りを購入する授与所(じゅよじょ)
宝登山神社の御朱印です。



左右の欄干には中国に昔から伝わる「二十四孝」の内8話の親孝行が描かれています。

こちらは三国志に登場する人気武将「趙雲(ちょううん)」


「藤谷淵神社(ふじやぶちじんじゃ)」。なんと下記のように沢山の神様が祀られています。

伊勢大神(天照大神/あまてらすおおかみ・豊受大神/とようけのおおかみ)
八坂大神(素戔嗚命/すさのおのみこと)
野栗大神(野栗大神/のぐりのおおかみ)
諏訪大神(建御名方神/たけみなかたのかみ)
琴平大神(大国主命/おおくにぬしのみこと)
熊野大神(伊弉冉命/いざなぎのみこと)
榛名大神(埴山毘売命/はにやまひめのみこと)
竃三柱大神/かまどみはしらのおおかみ(奥津比古命/おくつひこのみこと・奥津比売命/おくつひめのみこと・火産霊命/ほむすびのみこと)
明治時代まで長瀞の各所にあった神社をここにまとめたそうです。神様は密でも大丈夫・・・。

鬱蒼とした階段を上ったところに「天満天神社(てんまんてんじんじゃ)」。学問の神様である菅原道真(すがわらのみちざね)公をおまつりした神社です。いかにもご利益がありそうです。



鮮やかな赤の「宝玉稲荷神社(ほうぎょくいなりじんじゃ)」。失くし物をした時にお参りすると出てくると言われています。



二の鳥居を一旦出て、ロープウェイで山頂の奥宮へ向かいます。



この日は薄曇り。長瀞の町並みはよく見えました。



山頂駅



「梅百花園」をさらに登って奥宮を目指します。


木漏れ日が神秘的です。



「奥宮」の一の鳥居



神犬の間を通って参る宝登山神社の「奥宮」

甲信地方の山間部には、山犬、狼が持つ能力に畏怖と畏敬の念を抱き、お犬様を神様のお使いとして祀られている神社が多いようです。


奥宮の社殿


奥宮の広場からちょっと登ると宝登山の山頂です。標高は497.1m

 

奥宮には奥宮の御朱印があるのです。

「宝登山神社」の地図