【大宮氷川神社】氷川神社の総本社の歴史と見所を写真で紹介

関東に約280社ある「氷川神社」

「氷川神社」という名前の神社は、東京・埼玉近辺に約280社あり、そのおおもとである総本社(そうほんじゃ)が埼玉県さいたま市大宮区にある「武蔵一宮 (むさしいちのみや)氷川神社」です。

この氷川神社を大いなる宮居(みやい=神社)と称えられたことが「大宮」という地名の由来とも言われており、歴史の古さやこの地域での存在感の大きさを表しています。

「氷川神社」で祀られている神様

大宮氷川神社で祀(まつ)られている神様は
「須佐之男命(すさのおのみこと)」
「稲田姫命(いなだひめのみこと)」
「大己貴命(おおなむちのみこと)」
の3神です。

行列のできる御拝殿

「須佐之男命(すさのおのみこと)」は乱暴な行動で天上界を追放されてしまう一方で、人間を食べてしまう恐ろしいヘビ「ヤマタノオロチ」を知恵を使って見事に退治するなど、 正義感の強い一面もあり、武の神、厄払いの神として崇められています。

「稲田姫命(いなだひめのみこと)」は「ヤマタノオロチ」に食べられそうになっているところを須佐之男命(すさのおのみこと)に救われ、結婚したことから
縁結びの神様として、また、文字通り「稲田」の神=五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神として崇められています。

「大己貴命(おおなむちのみこと)」は稲田姫命(いなだひめのみこと)の子で、神話の中でも「因幡の白うさぎ」はよく知られており、赤裸にされたうさぎを助けた心のやさしい神さまです。(一般には「大国様(だいこくさま)」と呼ばれ親しまれています。)

御拝殿とその奥に屋根だけ見える御本殿

二千年以上の歴史を持つ大宮氷川神社

社伝によれば、大宮の氷川神社は第5代、孝昭天皇3年(紀元前473年)の創建と言われ、二千年以上の歴史を持つ古社とされています。

平安時代の後期には、平将門の乱(935年)に関連して平貞盛がこの社で戦勝を祈願し、そしてその乱を平定したことから、関東の武家に幅広く信仰され、武蔵国中に氷川神社が広がったそうです。

御拝殿から奥の御本殿を眺める

源頼朝・徳川家康が厚く信仰した大宮氷川神社

1180年には源氏再興の挙兵をして鎌倉に入った源頼朝が土肥実平(どひさねひら)に命じて社殿を再建して領地を寄付し、1197年には神馬神剣を奉納しているそうです。

また、徳川家康が江戸に入った1596年には江戸幕府により社頭が造られ、1667年には四代将軍 徳川家綱によって社殿群が建立されました。

広々とした境内

明治天皇が大宮氷川神社へ行幸(ぎょうこう)

明治元年、明治天皇は都を東京に遷都され、東京に入って4日目にこの大宮氷川神社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになり、10日目には大宮に行幸し、10月28日に関東の神社の中で最初に親祭を行いました 。

皇室との関わりが深い

明治天皇は1870年(明治3年)にも親拝されました。

また、昭和天皇も皇太子時代の1917年(大正6年)と、天皇に即位した1934年(昭和9年)に親拝され、その後三十数年を経て1967年(昭和42年)10月には夫妻で参拝されました。

明仁上皇も皇太子時代の1963年(昭和38年)9月に参拝し、1987年(昭和62年)7月と天皇に即位した1993年(平成5年)5月には夫妻で親拝しています。

明治天皇行幸の模様が描かれた絵巻が三の鳥居から伸びる

約2Kmの日本一長い参道を歩いた

氷川神社の参道は氷川参道とも呼ばれ、ケヤキを中心としたおよそ650本の樹木が南北約2キロメートルにわたり続いている日本一長い参道です。


参道の始まりはさいたま新都心駅から徒歩10分の「一の鳥居」から


しばらく車道と歩道が半々の並木道が続きます。


車道(南大通東線)を渡ります。


ここからは歩行者専用です。


初夏の涼しげな並木道


こんな位置関係です。


休憩ポイントもいくつかあります。


そして二の鳥居です。一の鳥居から1.5km歩いたところです。
そんなに歩いた気はしませんが。

二の鳥居は、昭和51年に明治神宮から奉納されたもので、木造の鳥居としては関東最大級の大きさだそうです。


そして天皇行幸の模様が描かれた絵巻を左手に見ながら歩くと三の鳥居に到着です。いよいよ神社境内に入ります。

大宮氷川神社の摂社と末社を巡る

一般的な神社には、本殿(本社)以外にも、いくつかの小さい神社があり、神社ごとに祀られている神様がいます。本社の主祭神と家族・親族などの関係がある神様を祀っている神社を摂社(せっしゃ)、それ以外の神様を祀っている神社を末社(まっしゃ)と呼びます。

境内に入ってすぐ右手にあるのが天津神社(あまつじんじゃ)(摂社)です

小さな鳥居をくぐって結構奥まで進むと神社正面に立ちます。

御祭神は少彦名命 (すくなひこなのみこと)です。
主祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)と一緒に国土経営に携わった神様で医学薬学の神様だそうです。

現実的なご利益がありそうな神様ですね。



そこから少し境内の奥へ歩くと「六社」という、まさに六つの神社が同居している建物に着きます。こちらは末社です。

右から神社名:御祭神を並べると
住吉(すみよし)神社:航海の神
神明(しんめい)神社:太陽の神
山祇(やまつみ)神社:山の神・諸産業の神
愛宕(あたご)神社:火を司る神
雷(いかづち)神社:農林業の神
石上(いそのかみ)神社:刀の神・戦の神・健康の神

一度に沢山の神様に参拝しそうになりましたが、それではご利益はなさそうなので、石上神社に狙いを定め、健康を願って手を合わせました・・・。



通路を挟んだ向かい側には「松尾神社(まつおじんじゃ)(末社)」があります。

御祭神は大山咋命 (おおやまくいのみこと)という酒造、水の神だそうです。
商売繁盛、縁結び、安産、厄除けなどのご利益があるとのこと。景気のいい神様ですね?


この松尾神社の左脇の道を入っていくと、艶やかな鳥居が並ぶ「稲荷神社(いなりじんじゃ)(末社)」が見えてきます。

御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)という食物の神様だそうですが、
農業 や商業など産業全般の神様ともいわれています。日本国内に3万社もある稲荷神社ですから、期待されるご利益も広範囲なのでしょうか。

鳥居をくぐり抜けていくと、おなじみの「神の使いの狐(キツネ)」が出迎えてくれます。

内側から見ると更に艶やかな鳥居群です。



稲荷神社のすぐ向かいにあるのは「宗像神社(むなかたじんじゃ)(摂社)」です。

こちらには須佐之男命の子どもといわれている宗像三女神(むなかたさんじょしん)が祀られています。

交通安全の神様だそうですが、もともとは大陸への海上交通の安全を守る神様として、大和朝廷によって古くから重要視されていたそうです。



拝殿での参拝が済んでから東門をくぐり出ると、

ここにも摂社と末社が控えめに並んでいます。

向かって右側は末社の「御嶽神社(みたけじんじゃ)(末社)」です。

御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)で国土経営の神々様です。

そして左側は「門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)(摂社)」で、御祭神は
「足摩乳命(あしなづちのみこと)」
「手摩乳命(てなづちのみこと)」
という稲田姫命(いなだひめのみこと)の親神様(ご両親)だそうです。

昔は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていて地主神であるアラハバキ神が先住の神様として祀られていたそうです。

謎の多い神様だそうですが、今はどうされているのでしょうか・・・。

 

神社ではありませんが、三の鳥居をくぐり、境内に入ってすぐ右の目立たない場所に、二股に別れた立派な楠のご神木があり、夫婦楠(めおとくす)と呼ばれています。

名前の通り、ご利益は夫婦円満ですが、縁結びのご利益もあるそうです。地味ながらご利益がありそうな雰囲気を感じました。


楼門をくぐり、拝殿で参拝

三の鳥居をくぐり、境内に入ってまっすぐ進み、「神池」の橋を渡ると色彩も鮮やかな「楼門」が見えてきます。


楼門をくぐると記念撮影スポットの「舞殿(まいどの)」が正面にあり、その奥に御拝殿と参拝者の列が見えます。


この日も沢山の参拝者が並んでいました。


御朱印をいただく神札授与所にも人の列ができていました。



初詣や七五三詣で関東一円から多くの参拝者が訪れる境内は、青空と大きな樹木、朱色の建物が鮮やかなコントラストをなす気持ちの良い空間でした。


「大宮氷川神社」の地図